絵本を抱えて

2001年12月30日
本屋に行ったら江國香織の「絵本を抱えて部屋の隅へ」が文庫本になって
買って欲しそうな顔をして棚に並んでたから、買った。

ココ二晩、立て続けにソファでいつの間にか寝ちゃってて
喉の調子がおかしくて、こう言うときはなんでか
辛いモノとか、コーヒーとか、いわゆる刺激モノが欲しくなる。
で、駅前に渋いコーヒーを飲みに行く途中の本屋だった。

江國香織が最近とにかく好きで、ココ半年かなり読みまくっていた。
江國香織が好きなのは、本が好きなわけじゃなくて、
書かれた本の中には好きなのもあればそうでないのもある。
「神様のボート」とかは好きだし、「冷静と情熱の間」
とかはそんなに好きじゃない。
川上弘美にも共通するのが、「素」で書かれた本に
にじみ出てくる、文章の裏の方に静かにどしっと潜んでる
「感性」とか「こだわり」でもある。

ストーリー、つまり話の筋とか展開にも全く興味がなくて
これは映画でもなんにしてもいえることで
ストーリーだけならテレビドラマの方が何百倍も楽しめる。


コーヒーを飲みながらその店で
ディックブルーナーの絵本の辺りまでを読んで
帰ってきた。

絵本の中には真実がある。
余分なモノがはぎ取られた真実がしっかりと横たわっている。
それはその作者の生き方でもある。
余分なモノがなくストレートに伝わる感じる、だから絵本は
素晴らしい。


そんなような趣旨だった。
江國香織のこの辺りが好きだ。


聖書や仏典のように、言葉を何十万何百万個
並べた本の中にも真実はあるのかも知れない。
大作と呼ばれる長編の本や、難しい言葉が所狭しと並び立てられる
哲学書の中にも真実はあるのかも知れない。

そこにある真実は、きっと勝手に探してる「答え」のようなモノで
でもそんなモノをいくら求めてみても何もないのも
ちょっと考えれば解る。
「語られ」ないと伝わらない真実、これはただの言葉遊びだ。


本や映画、音楽、写真、絵本に真実があるとすれば
その作者の生き方を感じるかどうかだ。
感じるかどうかは自分の生き方と一致するかどうかでもある。
つまり、100万冊の本の中には100万個の生き方真実がある。


「私はヒロシのことを死ぬほど愛していた」
と書かれるよりも
「ねえヒロシのそばにいたいよ」
と囁かれる方がイイ。


素敵な道徳なんていらない。
「世の中で一番大切なことは、誰かに必要とされること」
なんて言われてもピンとこない。
その時、そっか!て思っても、次の朝にはもう忘れてるのが
オチだ。
そんなものに振り回されなくちゃいけないほど
陳腐な道徳観念しか、小さい頃から教わっていない
日本の教育にも切なくなる。


「世の中で一番大切なこと」は「守るべきモノ」でもあり、
それは、「自分を自分らしくさせるモノ全て」でもある。

「自分らしくあるのを邪魔するモノ・ヒト」はすべて排除しよう。
例えば傷つけるモノヒト全て、立ち向かう必要もないし、
相手にする必要もない。


江國香織の本からは、こういった力強さが伝わってくる。
言葉が踊り、言葉に踊らされないその世界は、ファンタジーであり
メルヘンであり、真実でもあるから、しばらく好きでいたいと感じる。

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