2002年4月20日
信じてたのに。
裏切られたわけじゃないけど
どうやら勝手に思いこんでたみたい。
すぅーって何かが体を通り抜けて
体温が少しだけ下がったような
昨日の夜の電話。

好きとか嫌いとか
そう言うところはもう越えてて
ますます疲れ果てて
がむしゃらに頑張るしかない彼女に
何もどうすることもできないし
それが今の現実だし。

でも、どこかで
わかってくれてるんじゃないかって
そんな風に思ってた。
分かり合えてるんじゃないかって。

でも、どうやら違ったみたいで。
彼女の辞書にはあまり難しいことは
載ってない。
一度起きた拒否反応は、なかなか消えないものだし。

子供が欲しい自分が
子供を産めない彼女を好きになる。

我慢なのか。
もっと気楽に行けばいいのかな。

3年の月日、つまり後2年は
何をもたらしてくれるんだろう。

気持ちに自由になれ。
俺!

sousiyou!

2002年3月29日
毎日毎日飲み会は続くよ。
年度末安堵送別歓送安堵花見安堵。
酒が続くと思考回路もてきめん変わる。
なんつか、こう、ぼーっとしてて
感性がなくなる。
たばこも吸いすぎ。
煙がいやなのは猫だけじゃないし。
雨は多い。

こんな日は
友達の家に行こう!
ひとんちにあそびにいこう!
うん。そうしよう!

幻想太鼓

2002年3月18日
半年我慢してたのに
メールうっちゃった。
何も始まらないで欲しいと、
しっかり願いながら、何かが始まる
ことを、実はかみしめてる。

きっと、自分の気持ちなんて
自分で把握してるほどに
わかりやすいものじゃないし、
自分らしさは、つねに自分を
裏切るし。

祭りの太鼓の音を
幻聴で聞きたいくらい
明るい季節になって
葉も花も道路も
息吹きだして。

帽子がかぶれなくなる前に
この髪が伸びないかなって
少し寒そうな夕方の街へ
出かけることにする。

ピン

2002年2月18日
結局、絵とは何かっていったら
好きに描くモノ、以外のないモノでもなくて
見るモノじゃない、ということだ。

絵とは何か。
絵とは好きに描くモノである。

本も文章も写真もきっと
同じなんだろうな。

意味なんてないし、狙いなんて
作り手の頭にしかないし、
結局何かっていったら
書くモノだし撮るモノだし、それだけのことでもある。

他人の絵を見てても
今までづっとあまりピンとこなかったのは
そのせいだ。
写真集とかみててもピンとこなかったのは
そのせいだ。

でも、本は違う。ピンとくるのがある。
ってことは、きっと、
本は書いちゃ行けないんだよね、ホントは、
とか思うこと、今。

写真とか絵とかを描いたり書いたり
ピンとくるのはそっちの方な気がする。

きっと、目に入ってくる絵や写真で
ピンとくるのって、自分で書いたり
描いたりしたのしかありえなさそうだから。

やれってことか。

じゃ、やりますか。

金色雨

2002年2月16日
通りの向こうが少し
雨でかすんで見えにくいけど
そのかどの店の屋根は今日も
オレンジと緑ではためいてる

降ってくるそれと
地面から力強く打ち返されるそれで
かどの店のちょうどその前が
戦争のようににぎやかなことに

美しいと思う

300倍ズームで除いてみると
ミルク王冠の形をした雨が
たくさん跳ね返っては出来て消え
跳ね返っては出来て消えてるのが
はっきりと見える。

あ、あの雨は去年の台風の時に
落ちてきたやつだ 

地面に吸い込まれて
しみこんで流されて
流されて海に出て
アジアをまわって
空に上がって
また降ってきたその雨は
とってもきれいな王冠を
作ったんだ

その瞬間はね
なんだか周りの全ての美しいにぎやかな
景色が全部瞬間止まって
花のつぼみが厳かに開くように
スローモーションで
金色に跳ね返ってきた

瞳の中に跳ね返ってきたその雨

だから雨は美しいと感じる
今度はいつ会えるか

koudou

2002年2月12日
手のひらの中に収まるような全ての物事へ。

吸収されるよなそんな空気の中で
一体全体どうやってうまくやっていけばいいのか。
ピラミッド見たいに山積みの
そのおもちゃの中に一人で飛び込んでくのが
本当にいいことなのか。
誰かと一緒じゃ、だめなのか。

ねえ、だめなの?

いいんじゃないの?

氷の山の中に住む晩国の仙人は
今日も物思いに耽ってるのだろうか
実は悶々としてるんじゃないんだろうか

言葉、という文字を煉瓦に書いて
がらがらと崩していく。そんな、
そんな夢を見ても。
許されるのか。お咎めはくるのか。

だれがこれを責めるのか。

教えて欲しい。
その胸の鼓動が
止まる前に

ちよこれっと

2002年2月11日
キャラメルを頬張りながら
オリンピックを見る
そこには金や銀のおいしそうな
チョコレートが飾ってある

ひとつ手を伸ばせば
スッて逃げてきそうなその
お菓子はとても甘くて
一度手に入れたら
どうにもこうにも手放せなくなっちゃう

勇気を出して
決めたことを思い出して

走り続ける人は僕だけじゃない
ポケットからストローを
出して吸って音たてて
残った分はもっと甘い
加速の法則だ

さりげなく前髪をかき上げて
つやつやの唇がプルプルなのは
しょうがないにしても
目玉に移る僕の顔が
とろけていきそうなぐらい
甘い甘いこの世の果て


勇気を出して
決めたことを守り続けて

スリッパの残り香に
瞬間 寒さを忘れるよじゃ
先が思いやられる
一人で上手にならないで
見渡せばチョコレートの山なんだから

たちつてと

2002年2月10日
たちばなの、って言葉が頭に残る。
なんでだろう。

名前じゃないよ。短歌とか俳句であったような。
違ったかも。

本棚の3段目に軍手がグシャsグシャって置いてある。
ヒーターの灯油を入れるときに使う軍手だ。
といことは、その真下に灯油の缶が置いてある。

ヒーターに灯油を給油するのがこわいらしい。
一緒に良くいる友達はそれを恐怖と呼んでる。
理由を聞くと、要領は得なかったけど、どうやら
臭いモノに触らなくちゃいけないから、という返事。
つまりは、きっと、臭いモノが嫌いなんだろうと思う。

もう一人の友人は、自称「匂いふぇち」でもある。
一緒にいると、すぐにお尻の匂いを嗅ぎたがる。
お風呂にあまり入ってないときの方がそそるという。
その話をしてるときのその友人の顔は、とっても、
ピカピカ輝いてる。

別の友人は、もうすぐ30になるんだけど
レイプ願望がある、という。無理矢理やられちゃう
コトを想像すると、いてもたってもいられなくなる、
らしい。そう言うのもほんとにあるのか。

でもきっと、このレイプ願望って、Hいっぱいしてたら
なくなっちゃうようなそんな感じもするし。
したいのに、なかなか出来ないから、レイプでも何でも
してよ、とかじゃないかな、とか思う。
思ってもどうなる訳じゃないけど、そう思う。

別の友達は、すぐぬらす。何だかわかんないけど
すぐにその友達は濡れちゃうらしい。
見ると、いつでもシミが出来てる。感じやすいんだ、
とか思ってたら、体が感じやすいんじゃなくて、
頭で感じてるらしい。一個一個のどうでもイイ出来事から
想像が勝手に膨らんじゃう、という。

もう一人の別の友達は車の中でHしながらいつも
私ってこんなにHでいいのかな、とかイイながら
いつもすごいことをする。というか、僕はされる。
この「いいのかな」ってのはもちろん、独り言だ。
僕が「いいよ」とか「だめだよ」とか言う話じゃない。
つまり、彼女は一人で感じて閉じてる。
そのHをラッキーと思えるか。気持ちよいと思えるか。
僕にとっては、そうでもない。

もう一人、電話でHするのが好きな友達もいる。
話してると感じて来ちゃうらしい。
会ってるときにすればいいのに、それはそれでこれはこれらしい。
電話口で会話がとぎれがちだから、どうしたの、と聞くと
実は、と教えてくれた。
じゃ俺も、ということでやってみたけど、電話のHは
どうも気持ちよくない。まるで自分がバカみたいに思えて。

別の友達は、いつもHの時に、ビデオに撮って!っていう。
僕はそんな趣味はないからいつも断る。だけど
その友達はどうしても見たいらしい。自分のしてるところを
一度ちゃんと見たいらしい。

みんながみんな、自分のことばかり。
だから僕はオナニが好きだ。
自分でやるのが、一番めんどくさくなくて、良し。

らきら

2002年2月9日
きらきら 庭が窓の外
きらきら 空が屋根の上
きらきら 瞳と珊瑚礁
きらきら 心が同化する

目の前の君と 思い出す君の瞳は
ほぼ一緒だと思うんだけど
姿勢良く歩き出す君は
記憶の中でぶるぶるしてた

指先まで伸びた体の右側のラインが
山の頂のきらきらを持ってて
そっと記憶の中で触れてみるとそれは
冷たくて まぶしくて ちょっとだけ
アイスクリームの匂いがした

突然の言葉に僕は驚く
朝のニワトリのように驚く

スズなりの君は山なりに体を曲げて
空に向かって熱い息を
熱いため息を
熱い吐息を 僕に吹きかけちゃダメだ
言葉のない空気の流れは
自分だけのモノ 人に聞かせちゃ
だめなのに

サンゴのように海の奥深くで
きらきらいつまでも
見つかるまで眠っていたい

見つかったらサンゴで みつかるまでは
なんだろう

片思いってのは きっと
右目のことだ ゆっくりあがるし
笑うと下がる

僕にはどうしようもできない
もし、こたつの中で指が動いたら。

さわやかな顔のままで、こたつの中の指が
モゾモゾと始動し始める。赤外線の照射は
ちょっと熱いけど、壮大な目標に向かって
確実にそして、迷うことなく指は動き始める。

そんな夢を見ながら起きると、こたつで寝ちゃったせいで
喉がからからに乾いてた。

2月にはいるのに、全然暖かくて冬の感じがしないし
雪でもガァーって降らないかな、とか、思う。

最近、ほんとに一人暮らしに飽きてきた。
飽きて飽きて、とても飽きてきた。
好きで始めたはずなのに、飽きてきたと言うことは
なんだろう。

昔、結婚してたときは、全然家に帰らなかった。
あちこちにいったきり。
離婚してからも、必ず誰かと一緒に住んでた。
この家に引っ越してきて4年目、この家に引っ越してきてから
誰かと一緒にいることが不可能な生活形態に変わった。
一回が事務所、会社で、上に住む、という形式だ。

入り口も一緒だし、ぐちゃぐちゃで、その他もいろいろあって
誰かと住む、ということは出来なくなったんだけど、
それはそれで、自分のこと、やりたいことがいっぱいできた。
その面では良かったんだけど。

ココに来て、どうもいろいろ怪しい雲行きだ。
誰かを呼んで一緒にいれば、誰かに責任が生じる。

毎日違う人を呼んで一緒にいれば、間違いなく
イロイロとめんどくさいことになる。
かといって、とても好きな人がいるでもナシ、
一人でいるのも秋田市、旅にでもでるか、そんな心境だ。
正確にはそんな心境らしい。人ごとのように。

まいったまいった。
誰でもイイから、そんな生活して手もイイから
家賃もお金も全部面倒見るから、側にいて欲しい。
出来れば、その人のことを、
心の底から好きになりたいし、敬いたい。


あー 敬いたいくっつきたい。

強羅花壇

2002年1月24日
昔あるところに、お兄さんとお姉さんが住んでいました。
二人は結婚はしていませんでしたが、すでに同棲生活も6年目で
あうん、つーかーの仲。近所でも評判のおしどり夫婦です。

ある日のことです。お姉さんが勤めていた会社が倒産してしまいました。
二人は去年買ったばかりのベンツのローンが毎月60万もあり、
共働きで稼いでいました。支払いの心配もさることながら
お姉さんは、自分が関わっていたプロジェクトがうまくいかなくて
会社がつぶれてしまったことに、とても自責の念が絶えず、自分を責める
不安定な日々に突入です。

それを見ていたお兄さんは、お姉さんに元気を出させようと、
ちょうど冬だったこともあり、一泊2日の温泉旅行を企画します。
ここぞの時は強羅花壇。プチ高級温泉でゆっくり。
早速予約を取るとその週の週末にお姉さんを連れて出かけました。

妙に明るく振る舞うお兄さんを、お姉さんは実はいとましく思っていましたが
私のために頑張ってくれてることもよく分かりますから、お姉さんは我慢我慢。
笑顔でにっこり応対です。でも、温泉につく頃には、眉毛の辺りがピクピク
引きつってきました。

強羅花壇はとてもゴージャスで、料理もおいしく、プールやマッサージなど
お姉さんはとてもリラックスした気持ちになりました。
入り口で女将が、毎度おこしやす、といったときは一瞬、ムッとしましたが
その夜はお兄さんに感謝しながらぐっすりと眠りました。

次の日の朝、お姉さんが目を覚ますと、隣で寝ていたはずのお兄さんが
居ません。散歩にでも行ったのかな、と思いながらお姉さんも起きあがると
ちょいと羽織って、庭に出てみます。
案の定、庭ではお兄さんがカメラ片手に、見事に切りそろえられた花壇を
ぱしゃぱしゃ撮っていました。朝の7時のことです。

何となくほほえましい光景を、お姉さんは庭の入り口のところから
何を考えるでもなく、ぼーっと眺めていました。
すると、突然お兄さんが、花に向かって話しかけ始めます。

「おーい 元気に咲いてるかな。僕も元気だから安心してね。
 今日はね、お姉さんを連れてきたんだけど」

お兄さんの優しい目を見て、お姉さんは驚きました。
そんな優しい眼をしたお兄さんは今まで見たことがなかったからです。

チェックアウトをすますと、車の中でお姉さんは
お兄さんに何気なく尋ねました。

「あなたって、ねえ、もしかして寂しがりやさん?」
「ん? なんだ?何でそんなこと聞くの?」
「ううん。なんでもない」

その時お姉さんは去年のクリスマスのことを思い出していました。

〜つづく

せんたく

2002年1月17日
なんかゆーうつーな天気で
気分も気のせいか下降気味だし。

飲み過ぎた次の日はどうしても元気が出ない。
血糖値が下がってるのかなんなのか。
朝からビタミン剤をがぶ飲みしてみるも
対効果期待薄で。

ここのとこ、アッという間に1週間がいつも過ぎる。
ということは、あっというまに洗濯物がたまる。
しかもあっというまに、部屋の中が汚れてくる。
洗濯も掃除もしなきゃいけないのに、めんどくさい朝は
とてつもなく大変な作業に感じる。

一人で一軒家なんて住んでるから大変なんだ。
まじめに引っ越し考えるか。
この家は、今の僕じゃ、広すぎる。

物事はなるようになるわけで。
考えても始まらないし、何を考えればいいのかすら
考えつかないから、なにがなるようになるのか。

暗記をやめれば英会話がうまくなる!とか言う本が
本棚から出てきたから久しぶりに読んでみてる。
いわゆる、置き換える能力とでもいうか
そんな感じでかなりいい加減に言いたいことだけ伝える
英会話の指南本。

ただでさえ、日本語でさえ、あんまり無駄な話はめんどくさい
僕にとって、英語で何かを話すというのは、あまり必然性がない。
なのに、何故か学校に通ってる。
何を目指してるのか。通ってる時間は楽しいのか。
考えてみる。やっぱり楽しい。
何が楽しいのか。なんか、違う自分が居るようでおもしろい。


さて、洗濯するか。

さかー

2002年1月6日
サッカーのチームは、監督、つまり指揮官で決まる。
日本代表といっても、単純に今、日本でうまいヒトが
上から選ばれるわけじゃなくて、監督の描くいろんな作戦に
会った人がチョイスされる。人の意志で選ばれるわけだ。
ある種、神でもある。

イイ試合をするチームで勝てないチームもあれば
何かちぐはぐだけど負けないチームってのもあったり、
もちろん勝ち続けるチームもある。

野球とかもそうだけど、いくら巨人がお金を積んで
すごい選手をたくさん雇っても、優勝は難しい。
このピッチャーで10勝、この人で15勝、
このバッターとバッターでホームランは合計80本、
したがって今年はいける!とかいう数字が良く飛び交うが
全く当てにはならない。

トルシエが日本代表で撮った戦略は、ワールドカップで
勝つための戦術だ。体格・体力・技術面で世界に劣る日本の選手が
勝つためには、組織力しかない。バックラインを3人で
なんとか切り盛りできるシステムをとり
中盤から前線への人数をかける、というある種賭のような
戦術をココ数年徹底してきた。

当然、バックラインは破られる危険と紙一重でもある。

少し前までは、マスコミとこの辺りがかみ合ってなかった。
というより、マスコミの親心的なところで
トルシエの戦略に理解がなかったとでもいうか。

コンフェデの波戸や伊藤の使い方を見ても、勝つと言うより
負けない試合を心がけながら、全員に経験を積ませる、
いわゆる日本代表というブランドを「育てる」感じで
振り返るとココ数年、できあがってきている。
監督と意見の合わない選手の起用が見送られたり
代表に収集されなかったりすると、ちょっと前までは
マスコミやみんなブーイングあったけど、ココに来て
少なくなった。
ようは、結果、試合に勝つかどうかだけでなく、
全員が育ってきていること、誰が出ても「日本代表」というブランドは
一定の戦術をとれるようになって来ていることが
みんな、わかったからでもある。

一世代前の、ラモスや柱谷、カズや北沢が自由自在に
動き回っていたような「日本代表」とどちらが強いか、
一目瞭然だ。
日本は初めて、強い選手やリーグで調子のいい選手の寄り集まりの
オールスター「日本代表」ではなく、
目的と戦術を持ち、それにその時一番調子のいい選手が入る
ブランド「日本代表」になりつつある。

チェックやプレスの甘いオランダのサッカーは見ていて確かに美しい。
小野が活躍できるのもうなずける。プレミアリーグなどもそんな感じだ。
でも、厳しいイタリアのセリエAがあって、ポルトガルがあって
スペインリーグがあって、4年に一度ワールドカップがある。

世界の王者は、現在フランスだ。今回のワールドカップでも
優勝候補筆頭でもある。

この世界地図に挑む日本にとって、フィリップのとる戦術は
まさにこれしかない、という戦術でもある。今の日本のサッカーを取り巻く全ての状況で、ワールドカップで上位に進出するには、これしかない、という
ベストのやり方をしていると思う。拍手だ。
しかし、もちろん、あくまで「上位に進出できる」戦術どまりだ。

この先、日本が世界のサッカーに追いつくかどうかは、もちろん
トルシエの腕でもないし、Jリーグのレベルアップでもないことは
明白だ。若いうちから海外での経験を積むことも大事だけど
その前に、絶対的に、才能ある「でかい選手」をユースの下の世代から
ピックアップして育てていくことだと思う。

才能ある170〜180cmの選手は今でもいる。その選手を使って
可能な限りのベストの戦術が今回のトルシエのものだ。
もちろんワールドカップで優勝できるレベルではない。

最低限、才能だけでなく、でかい選手、身体能力の大きな選手、
これを育て上げる必要がある。
180〜190cmのでかさが必要だ。
アフリカやヨーロッパ、アメリカと違って、でかい選手は日本に
そんなにいない。つまり、見つけだしてわざわざ育て上げないと
今の世界レベルでのフィジカルには追いつけない。

小さい頃にサッカースクールに通っていた。
今も多くの少年がサッカースクールに通って、将来のワールドカップを
夢見ている。
でも、世界のレベルは、多くの少年が夢見て小さい頃から練習して
スター選手に成り上がっていく、というより、徹底した英才教育で
センス・フィジカルに選ばれた選手を小さい頃から育て上げる、
という悲しい流れがあるのも事実だ。

成り上がっきた多くの才能ある南米の選手がヨーロッパで活躍するが
ナショナルチームでは、ヨーロッパの方がやはり総じて強い。

実際に今年の6月に日本で開催されるワールドカップは
もはや夢ではない。
日本の選手も海外で今活躍する選手もいるにはいるが
実際は結果を出せているのは一人〜二人しかいない。
日本中で何百万人という少年が小さい頃からサッカーをやって
ホンの一人二人しか海外で活躍できていない事実をどう見るか。

夢が夢でないのなら、青少年向けの夢でないきちんとした
プログラムが、そろそろ必要だと思う。

ねむ

2002年1月4日
今羽田でジュニアパイロットで見送って
娘が帰ったら、帰りの車の中から見えた
夕日が、今日の夕日は無茶苦茶綺麗で素敵だった。

気分の問題か。

正直言って、ここんとこ、娘とたまにあってても
何だかイライラしちゃう事が多くて。
かわいいんだけど、なんだろう。

確かに、もう小学4年生になろうというのに
必ず一日3回は何かをこぼすし。

でも、昨日の夜、ぐったりしながらちょっと話した事が
東京でパパ(自分)と会ってることは、どうやら
向こうの家族や学校の友達には、あまり言ってはいけない
と、母親に言われてるらしい。

本人は、いっぱい飛行機も乗ってるし
ディズニーランド行った回数とか一番多いし
ディズニーシーも学校で一番乗りだったからみんなに言いたい
んだけど、ママがダメだと言うのが不思議で、
「なんでだめなの?」とか言う話をした。

「ママに聞いた方がいいよ。離婚してっからいろいろあるんじゃない?」
って言ったら
「だから、ママよりパパに聞いた方がいいと思ったんだ」
とか言うし。

離婚の意味も良くまだ分からないのに、確かに大人っぽい
話の流れ。
きっと、東京のココは、娘にとって遠くにあるとっておきの
逃げ場所になってるんだなって、感じた。いいことだと思う。
そうなのか。そう思う。

話してて感じるのは、やっぱり、実家では「子供」を演じてる面が
大きいような。子供であることを一生懸命演じる。
友達やネットや、ゲーム、テレビ、ビデオ、スカパーから入ってくる情報
は、それはそれで、確かにインプットされてるし、言葉や知識としては
いろいろ知ってて怖いぐらい。

で、その知識に実践が追いつかないのに、子供の役割を演じなきゃいけない
そんな感じがした。

ってはなしてると、やっぱり、答えを出してあげなきゃいけない面と
そのまま「大丈夫だよ」ってだきしめてあげる面と、
両方子供には必要だ。

答えを出す、つっても、昔と違って変なごまかしは全然利かないし、
中途半端な言葉や言動は、かなり見抜かれてる。
「それはね、●●●だから●●●なんだよ」ぐらいの適当なこというと、
違うって知ってても「そっかー。パパっていっぱい知ってるね」ぐらいの
子供らしさを演じられちゃうから、困る。

きっと、その辺含んで、子供と一緒にいて最近疲れちゃうのは
自分自身の生き方が、きちんとしてないと、やっぱりごまかし始めちゃうからかなー、とか、感じた。


子供はまさしく、親の鏡だと思う。
見抜けるヒトとそうでないヒトはいるとは思うけど。

昔、「お里が知れる」とかいう言い回しがあった。
育ちとか、そんなようなものが見栄と体裁の中で
グルグル回ってる、やなたとえの言葉だ。

今でも、そんな言葉がまかり通る家もあるにはあると思うけど
「お里が知れる」という人々が守り続けているモノ、
これなんか、等身大の自分で勝負しなくていいから
とても楽だと思う。家柄や名家、妙な品がある家の方々は
とても楽だ。

古き良き時代、とでもいうか、今の情報オーバーの世紀では
それじゃやっぱり通用しない。お金、と同じぐらい、むなしいモノでもある。

誰と出会おうとも、何をやって生きていこうとも
どんな集団に入ろうとも、最後は
一対一で自分と相手の話になる。
それしかない。
とかなんとか、喉いたいし、イライラするし、鼻水でるし
家の中は戦場の後みたいにぐちゃぐちゃになってるし
子供と会えたのはうれしかったけど
この喉の痛みを、なんとかせぃー、という勢いで
書く日記は、こんな感じになる。

ゆっくり今日は寝たい。寝たい寝たい寝たい!!!

げむすも

2002年1月3日
娘が今日から半年ぶりに遊びに来た。
空港に迎えに行った帰りに、すぐにお買い物。
毎回、1〜2日たって慣れた後に買い物にいくと
思いっきり甘えられるから、今回は初っぱな、
慣れる前に買い物を済ませよう、という計画の元
トイザラスと洋服を買いに行ったら、どこもかしこも
福袋!

福袋なんて、何年も買ってなかったけど、
トイザラスのはどうもそそったらしく、2999円だったか、
ひとつ買い物ついでに買ってみた。
横のマックでご飯食べながら待ちきれなかった娘が
明けてみると、なんとゴージャスな!おもちゃのやまやま!

これならもっと買った方が得だと思い、あわてて戻って
もう二つ買って帰った。

で、なんだかんだで、洋服も何かセールだし、
結局いつもより、たくさんの買い物をして返ってきてたから
いとおかし。

もういっこのほうで、母親と娘の事書いたら
なんだか自分の中ですっきりした。

きっと明日はディズニーシーだ。
オープン4ヶ月で3回行ったけど、いまだに一回も一個も
アトラクションには入ってない。
食事と散歩で十分異国情緒が堪能できる素敵な空間。

生理的に並ぶのがダメで、でも明日は覚悟を決めないと。
その覚悟が、すっきり。

今日のヒットはプリン風呂。
二人で風呂に入って、風呂でプリンを食べる!というのが
こっちでの日課になってて家じゃできないからうれしいらしい。
で、今日も食べてたら、途中でなかにツルンって落としちゃって。
たまたま、ぶくぶくの泡風呂入れてたから底の方がみえなくて
子供と一緒に二人で手探りでプリンを探してたら、
その感触の気持ちいいこと!

調子に乗った二人は、ちょっともったいないけど
かってきたグリコのプリンを6個ほど
お風呂にいれて何だかわかんないけどぐちゃぐちゃさわって
楽しんでた。
8才の娘も、自分もとても楽しみました。ハイ。

絶対母親には言えないですね。これは。

夜は二人ですっとゲームやってた。別々のゲーム。
これも何だか変で楽しめた。

たまにしか会わないから見てて感じるけど
やっぱり、ゲームで育った子供は何か親のごまかしが
実は全然きいてないように思う。

とかなんとかで、やっと寝付いたのが
夜の1時過ぎ。

ほんと、子供と一緒にいるのは体力勝負だ。

母親って、すごい。

ねがい

2002年1月1日
初詣に行って来た。
毎年行くんだけど、あの祈祷、ご祈祷っていうのか
あれのなかに「感謝」ってないもんか。
商売の繁盛か、健康とか、豊穣とか
何かを願わないとどうもいけないらしいんだけど
ただただ、「ありがとう」って神様に感謝したいときは
どうすれば?

人が多そうでヒトが少ないから伊勢神宮は好きだ。

とりあえず、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

満月

2001年12月31日
お台場。夜行って来たら、建物の中の駐車場が鬼のような列ができてて
正月でもあるまいし!とかフンフンしてたら、
入った焼き肉屋では、すでにお正月ソングが流れてた。
いとはやし。

カメラが欲しいモードに入ってる。
でも、飽きっぽい性格も知ってるから、ちょっと待ってみた。
ちょっと待つってどのくらいかわかんないけど
すでに一ヶ月ぐらい待ってて、まだ買いたいってことは
これはホンモノか!とか思って、ついつい
今日買いに行きそうになったけど、年末だし
もう少し我慢してみることにした。

昨日の日記の続きだけど、よくよくうちにある絵本を引っぱり出して
いろいろ眺めてたら、やっぱり絵本ってとても贅沢な
モノのような気がしてきた。
もちろん子供向けのがほとんどだけど、なんだか、よく考えたら
本より写真より贅沢なような。

だって、絵はあるし、文字はあるし。
うんこみたいな妙なストーリーもないし。

何故か後ろの方でかりふぉるにあどりーみんが流れてる。
映画のBGMらしい。

それにしても今日の満月は見事だった。
空気が澄んでるセイもあるだろうし、年の瀬ってのも
あるかもしれないけど、本当に見事な見事な満月で
寒空の中、鼻がグズグズするまで
友達と一緒に見上げてた。
こんなに見上げがいがあるモノがあるなんて。
素敵だと思う。

あしたは一足早い神社参り。
大晦日の神社も、あわただしい中でなんかいい感じです。

絵本を抱えて

2001年12月30日
本屋に行ったら江國香織の「絵本を抱えて部屋の隅へ」が文庫本になって
買って欲しそうな顔をして棚に並んでたから、買った。

ココ二晩、立て続けにソファでいつの間にか寝ちゃってて
喉の調子がおかしくて、こう言うときはなんでか
辛いモノとか、コーヒーとか、いわゆる刺激モノが欲しくなる。
で、駅前に渋いコーヒーを飲みに行く途中の本屋だった。

江國香織が最近とにかく好きで、ココ半年かなり読みまくっていた。
江國香織が好きなのは、本が好きなわけじゃなくて、
書かれた本の中には好きなのもあればそうでないのもある。
「神様のボート」とかは好きだし、「冷静と情熱の間」
とかはそんなに好きじゃない。
川上弘美にも共通するのが、「素」で書かれた本に
にじみ出てくる、文章の裏の方に静かにどしっと潜んでる
「感性」とか「こだわり」でもある。

ストーリー、つまり話の筋とか展開にも全く興味がなくて
これは映画でもなんにしてもいえることで
ストーリーだけならテレビドラマの方が何百倍も楽しめる。


コーヒーを飲みながらその店で
ディックブルーナーの絵本の辺りまでを読んで
帰ってきた。

絵本の中には真実がある。
余分なモノがはぎ取られた真実がしっかりと横たわっている。
それはその作者の生き方でもある。
余分なモノがなくストレートに伝わる感じる、だから絵本は
素晴らしい。


そんなような趣旨だった。
江國香織のこの辺りが好きだ。


聖書や仏典のように、言葉を何十万何百万個
並べた本の中にも真実はあるのかも知れない。
大作と呼ばれる長編の本や、難しい言葉が所狭しと並び立てられる
哲学書の中にも真実はあるのかも知れない。

そこにある真実は、きっと勝手に探してる「答え」のようなモノで
でもそんなモノをいくら求めてみても何もないのも
ちょっと考えれば解る。
「語られ」ないと伝わらない真実、これはただの言葉遊びだ。


本や映画、音楽、写真、絵本に真実があるとすれば
その作者の生き方を感じるかどうかだ。
感じるかどうかは自分の生き方と一致するかどうかでもある。
つまり、100万冊の本の中には100万個の生き方真実がある。


「私はヒロシのことを死ぬほど愛していた」
と書かれるよりも
「ねえヒロシのそばにいたいよ」
と囁かれる方がイイ。


素敵な道徳なんていらない。
「世の中で一番大切なことは、誰かに必要とされること」
なんて言われてもピンとこない。
その時、そっか!て思っても、次の朝にはもう忘れてるのが
オチだ。
そんなものに振り回されなくちゃいけないほど
陳腐な道徳観念しか、小さい頃から教わっていない
日本の教育にも切なくなる。


「世の中で一番大切なこと」は「守るべきモノ」でもあり、
それは、「自分を自分らしくさせるモノ全て」でもある。

「自分らしくあるのを邪魔するモノ・ヒト」はすべて排除しよう。
例えば傷つけるモノヒト全て、立ち向かう必要もないし、
相手にする必要もない。


江國香織の本からは、こういった力強さが伝わってくる。
言葉が踊り、言葉に踊らされないその世界は、ファンタジーであり
メルヘンであり、真実でもあるから、しばらく好きでいたいと感じる。

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